昭和八年の大津波慰霊碑を訪ねてみたが・・・NO2
当店の真向かいにある浄安寺さんに在った石碑ですが、昭和八年ではありません。昭和八年の慰霊碑はありませんでした。これは明治二十九年の大津波の時の慰霊碑です(115前)
浄安寺さんの山門です。昭和8年の石碑はなぜないのでしょう
鍬ヶ崎の方のお寺さんにあるのでしょうが、宮古の方も被害があったと思うのですが?
6月15日午後7時32分30秒。
旧暦の端午の節句で、帰省した若者が居てどこの家でも賑やかな宴に酔っていた時間帯です。
それ程大きくなく、長い時間続いたそうです。震度は宮古測候所
の記録では「弱」との記録で残っているそうです。
震源は、釜石市沖200Kの海底火山の爆発なそうです。
最大30mの津波で各集落が全滅状態で9割位の死者・行方不明がでたそうです。
青森・・死者 346 行方不明 400
岩手・・死者 2万2.413 行方不明 6.154
宮城・・死者 3。314 行方不明 1.080
昭和8年は3月3日のひな祭り
明治29年は旧の端午の節句 なにか節目があるのでしょうか
先般の津波は千年に一回とか言ってませんでしたか?
想定外だったとも言っていたような・・・・・
今回の津波は20M超の発表ではなかったでしょうか?
何故、過去のことを学習できないのでしょう?
忘れるところでした。
この石碑を建立したのは宮古の人ではありません。
北海道・函館西谷地・・・・・後はかすれて見えませんでした。
氏名・・速見(さんずいです)?輔様です。
宮古とどいう繋がりあったのでしょうね?