三陸大津波記念碑探訪NO11 野田村
威圧されそうな二層の山門です。
この碑は明治29年のですが、朝日新聞社の寄贈ではないようです。
野田村・海蔵院立派な由緒ありそうなお寺さんです。
ここには、明治29年の供養塔がありました。
お寺さんにお聞きしましたら、昭和8年の津波は被害が少なかったので建立しなかったとの事らしいです。
図書館に行き、村史を調べてみました。
昭和8年の被害
人口・4.264 死者・6 負傷者・4 流失家屋・58
明治29年の被害
人口・2、590 死者・201 負傷者・62 流失家屋・411
平成23年の大津波は野田村の中心地は完全に津波に覆われたようです。
堤防は破壊され、未だに諸に太平洋が見えております。
綺麗な松林が残らず流されたのか、処理したのか一本も見えなかったです。
どこを訪ねても、案外供養塔や記念碑の存在すら知らない人が多いです。
公共機関で聞いてさえそうですから、地元が完全に風化しております。
三鉄が、田野畑まで再開出来ました。
関係者の方々は大変なご苦労をなさった事でしょう。
早く、全線再開出来ると良いですね。