三陸大海嘯記念碑探訪NO9 津軽石・赤前地区
この地区は明治29年・昭和8年の大津波にも被害を被ったはずだと思いますが、平地に住宅がぎっしりと立ち並んでいましたがそんなに被害が無かったの
かなと考えさせられました。今回は山を崩して宅地にした所だけが残っているだけで見渡す限りの野っ原です。(チリ地震津波の時も影響があったかとも思いますが)
防潮堤や、川に大きな水門を作って津波を止めようとしたのが逆作用をして溢れてしまった感じです。
防潮堤で一時止められた水が跳ね返り、来る波とぶつかり合いエネルギーが
より増して、この地区になだれ込んで来たのじゃないのかと素人考えをしています。
止める事も必要でしょうがエネルギーをどこかに逃がす事も考えられないものでしょうか?力と力のぶつかり合いはダブルのエネルギーを生むようです。
「柔よく剛を制す」とも言うじゃないですか・・・・・
この石碑は明治29年の津波の記念碑です。
昭和29年の物を探しても見つかりません。
古老の方に逢い事情をお聞きしましたら、まさか?という話が聞けました。
建立したことは確らしいそうですが、地主さんが自分の所に許可無く勝手
に建てたと怒り地中に埋めてしまったとの話を聞いたと言っておりました。
どこの場所かも定かで無いそうです。
未だに瓦礫が山積みになっている赤前地区です。いつになったかたづくのか?